サンサーフ 【SUN SURF】 アロハシャツ ALOHA SHIRTS THE SONG OF HAWAII BLACK

価格: ¥10,584 (うち税 ¥784)
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『SUNSURF』
ハワイアンシャツが最も熟成し魅力を発揮していた
1950年代前後のヴィンテージハワイアンシャツを
当時の魅力そのままに再現する為に
東洋エンタープライズから生まれたブランドです。
千数百着にも及ぶヴィンテージハワイアンシャツの中から
特に厳選した柄を当時の生地、染色、プリント方法や縫製などの
ディティールを忠実に再現しています。

1952年ごろに設立したマリヒニ・スポーツウェア社の作品。
サトウキビやパイナップルの農園で働く日系移民と、
彼らを取り巻く環境をモチーフとした非常に希少価値の高いデザイン。
アロハシャツには観光地としてハワイの象徴がモチーフとして使われるなか、
プランテーションワーカーや空母など
現地の生活が垣間みれる情景をモチーフとしており、
それがこの作品の大きな象徴と言える。

“THE SONG OF HAWAII”
ハワイで古くから親しまれてきた歌のタイトルを音符と共にシャツ全体へと散りばめ
抜染によって表現したハワイの情景と見事にマッチさせた一枚。
手掛けたのはレイモンド・ササキ率いるマリヒニ・スポーツ社。
レイモンドは同社の創業以前より、
自身の絵をプリントしたテーブルクロスや枕カバーの製造販売
ドレスやカーテンの生地の卸なども行っていた。

Made in JAPAN

素材 レーヨン 100%  

SIZE/肩幅/身幅/袖丈/着丈
S/46cm/51cm/22cm/65.5cm
M/48cm/53cm/23cm/66cm
L/50cm/55cm/24cm/68cm
※サイズは目安です。縫製品のため、若干のずれが生じます事をご容赦下さい。

 

 

 

 

 

『アロハシャツの歴史』

1868年(明治元年)に初めて移民として海を渡った「元年者」以降、20世紀初頭まで多くの日本人がハワイへと移住した。
開拓民の彼らのほとんどがサトウキビ畑の労働者として働いた。当時、農園で着ていた作業着が「パカラ」と呼ばれるワークウェア。
ヨーロッパの船員たちが来ていた長袖の上着が起源の、青いチェック柄の木綿地で作られたそのシャツは、
日本人にとってなじみの深い絣に風合いが似ていたことも手伝い日系移民に浸透した。
このパカラシャツが、現在のアロハシャツの原型になったと言われています。
アロハシャツの発祥には諸説ある。
決定的な史料も残っておらず今となっては断定することが出来ないが、日系移民の存在が深くかかわっていることは間違いない。
移民が日本から持参した和装の生地や浴衣が古くなると、その端切れを使って子供用にシャツを仕立てて着せていたという。
和装独特の色や柄が現地の人々や観光客に新鮮に映ったことは容易に想像でき、和装用の新しい生地を使って仕立てた解禁シャツが人気を博し、
徐々に広まったと推察される。
事実、農園での労働者であった日系移民はやがて街中の様々な分野の職種に就くことになり、1900年を過ぎた頃には
ホノルルに多くの仕立て屋や呉服店を営んでいた。
仕立て屋ムサシヤ・ショーテンもその一つ。最も早い時期から「和柄」の生地を使ったシャツを仕立て

1935年に「アロハシャツ」という言葉を初めて新聞広告で使ったとされる店である。
1936年、「アロハシャツ」は商標登録される。申請者は洋品店キング・スミスの経営者エラリー・チャン。
中国移民系の彼が最初に売り出したアロハシャツはムサシヤが仕立てた和柄のシャツだった。

当時のアロハシャツの生地の多くは日本から輸出されていた。
とりわけ友禅をはじめ染織の中心地である京都や大阪は、戦時中を除き
アロハシャツの黎明期から最盛期を支えた重要なテキスタイル産地であった。
文様の意味を損なうことなく自由闊達に布地に描かれた和柄もあれば、
ハワイらしいトロピカルな柄も日本でデザインされていた。
アロハシャツの発展の歴史には日経人のみならず、日本という国も深く関わっていました。

アロハシャツは発展した背景には、ハワイが観光地として確立したことが大きい。
1927年、サンフランシスコ~ホノルル間に客船が就航すると、米国本土から多くの観光客がハワイに降り立った。
戦時中は米国の要衝としてにぎわい、戦後は航空路の発達もありさらに観光客が押し寄せた。
土産物としてのアロハシャツの需要は一気に増え、やがて米国本土でハワイブームが起こるようになると地元のメーカーだけでなく
本土のスポーツウェアメーカーなどもこぞってアロハシャツを作るようになる。
ダイヤモンドヘッドやハイビスカス、レイ、ウクレレといったあらゆるハワイの自然や文化をヒントを得たモチーフが
「トロピカル柄」としてデザインされた。
一方ハワイならではのミックスカルチャーを象徴する和柄は
最初期のアロハシャツやオリエンタルブームが起こった1950年代に多く見られた。

アロハシャツのパターンや柄には素材やプリント方法との相性
そして現代的な移り変わりがある。
黎明期1930年代からの主流であった「オールオーバー・パターン」。
1940年代後記になるとより派手なデザインとして「ボーダー・パターン」の作品が多く生み出されました。
アロハシャツの最盛期1950年代には自己主張の強いデザインとして、シャツ自体が一枚の画のように見える「ホリゾンタル・パターン」が生まれ
米国本土では「バックパネル・パターン」や「ピクチャー・プリント」など 強烈なインパクトのあるデザインが作られた。
そして忘れてはならないのが、今も変わらぬ輝きを放った、個性的なアロハシャツの数々を捜索したデザイナーの存在。
エセル・チャンは兄エラリー・チャンの為にキングスミス社のアロハブランド向けに原画を描いた。
フランスの画家ポール・ゴーギャンの版画作品の一部をコラージュしたゴーギャン・ウッドカットを公安したジョン・メイグスも
画家としての自らの才能をアロハシャツに残した一人だ。
アロハシャツの柄は、単なるシャツの図案という枠を超えて、
ハワイとハワイの自然や文化を愛するモノたちをつなぐ絆になっているのかもしれない。

1950年第二米国本土で巻き起こったハワイアンファッションの流行。ひとつのきっけけは先住ハワイ人の血を引く
オリンピック金メダリストのデューク・カハナモクの存在だ。
ハワイの観光大使として全米の主要都市を巡ったことで、彼の名を冠したアロハシャツのブランドは一躍有名となります。
アカデミー賞を受賞した映画「地上より永遠に」(1953年)に登場するのはデュークのアロハだ。
もう一つ映画史刻まれたアロハシャツと言えば、「ブルー・ハワイ」(1961年)で
エルビス・プレスリーがきていたティアレ・タバ。
ハワイを愛する様々なセレブリティたちがアロハシャツに身を包みながら
ハワイの存在を全米へ、そして世界へと知らしめた。
アロハシャツの歴史には、様々な文化の糸が複雑にしかも美しく織りこまれている。
それは世界各国からの移住者が集い、摩擦を経験しながらも、互いの文化を尊重し共生の道を歩んできた
ハワイの歴史と重なっています。

今やアロハシャツはハワイだけのものではない。
世界中のクリエーターたちがアイデアの源泉とする場所であり、
自らのアイデアを表現し新たな融合を生み出す場所でもある。
ハワイが生み育んだ「アロハスピリッツ」は
アロハシャツという絵葉書に乗って、今なお広がり続けている。


    

 


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